避難訓練 事情の考慮 錯覚

東日本大震災避難訓練先、犠牲多く 54遺体「市指定と違う」知らず−−岩手・釜石
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110330ddm041040066000c.html

                        • 引用開始 -------------

 岩手県釜石市の拠点避難所「鵜住居(うのすまい)地区防災センター」には、施設内や周囲に住民100〜200人が避難したとみられるが、生存者は約30人にとどまり、これまでに54人の遺体が見つかった。市の指定避難場所ではなかったものの、避難訓練の集合場所になっており、震災8日前の訓練でも住民が集まっていた。一方、高台にある指定避難場所の神社に逃げた住民の多くは助かった。生存者の証言を集めると、拠点避難所のあいまいな位置づけが被害拡大を招いた実態が浮かぶ。【鈴木一生、山本将克、稲垣淳、大野友嘉子】

 「近所の人はいざとなったら、そこさ行こうと話していた」。センターから約50メートルのところに住み、母と一緒にセンターに逃げた市川紀吉さん(41)はこう証言した。

 センターは鉄筋コンクリート造り2階建てで、昨年2月に完成。1階は消防署の出張所などが入り、2階は避難室や備蓄倉庫が設けられていた。市によると、センターは最初に逃げる指定避難場所ではなく、津波や土砂災害で高台などにいったん避難した被災者が家を失うなどした場合に中長期的に滞在する拠点避難所に指定されていた。

 市川さんによると、2階の避難室は当時、パニック状態。窓から家屋が車のようなスピードで流れているのが見え、あわてて奥の備蓄倉庫に逃げた。足に水を感じた瞬間、あっという間に水かさが増し、水圧で左半身が天井に押し付けられたが、傍らの母を右手で抱え込んだ。限界だと感じたころ、水位がゆっくり下がった。

 水面から顔を出した母は息が止まっていた。約1メートル離れた水面から浮き上がった男児も、青い顔をしていた。「大丈夫か」と声を掛けると、小さくうなずいた。「おっかあ、すまん」。母をそのままにして、生存者を捜した。

 泥まみれになった2階のテーブルやマットのそばで、女性が子供の名前を連呼していた。10〜15分して第2波が押し寄せた。死を覚悟したが、水は天井から数十センチのところで止まった。波が引いた時、助かったはずの男児と女性の姿はなかった。「地獄だった」

 一方、近くの理容師の小林誠一さん(65)は、家族5人にセンターより高台にある鵜住神社に逃げるよう指示し、後から自分も逃げた。神社が指定避難場所と知っていたからだ。

 境内では住民約70人が立ち尽くしていた。振り向くと、境内の手前まで波が迫っていた。同じころ、センターは2階まで波にのまれていた。

 センターでは昨年、津波を想定した避難訓練が行われていた。市によると、地元町内会から「足が悪い高齢者らがいるので、(集落から近い)センターを使いたい」と要望があり、市もこれを許可した。今年3月3日の訓練でもセンターを使い約100人の住民が参加した。センターの生存者、三浦信子さん(64)は「避難訓練をしていたので、そこに逃げれば安全だと思いこんでいた」と振り返る。

 市防災課の山田守課長は「高台への避難を常々呼びかけてきたつもりだったが、周知が足りなかった」と話している。

                            • 引用終了 -------------

僕が注目したのは、次の部分です。


「市によると、地元町内会から「足が悪い高齢者らがいるので、(集落から近い)センターを使いたい」と要望があり、市もこれを許可した。」


人間の心理として、事情を考慮したうえで、このような判断にいたるのは、よく分かります。

で、「センターは鉄筋コンクリート造り2階建てで、昨年2月に完成。1階は消防署の出張所などが入り、2階は避難室や備蓄倉庫が設けられていた。」ということで、それなりに立派な建物だったのかもしれません。


人が錯覚を起こしやすい条件が少なくとも二つはあったということなのでしょう。どちらかだけなら条件として弱くても、重なると強いのかもしれない。



避難訓練それ自体が、お年寄りにとっては負担になる、という問題は、無視できない問題です。

だから、単純に「指定避難場所を使った避難訓練」の徹底というわけにもいかない。少なくとも錯覚を起こしやすいようなまぎらわしい場所は使わないとして、では訓練自体、どういう方法を取るべきか、ということを考えないといけない。



それとも防災に関する学問として、そういう「訓練がもたらす錯覚とそれへの対処」はすでに考えられているけれど、それが周知徹底されていなかった、ということなんだろうか?