夏目漱石「それから」

 その上彼は、現代の日本に特有なる一種の不安に襲われ出した。その不安は人と人との間に信仰がない原因から起こる野蛮程度の現象であった。彼はこの心的現象のためにはなはだしき動揺を感じた。彼は神に信仰を置くことを喜ばぬ人であった。また頭脳の人として、神に信仰を置くことの出来ぬ性質であった。けれども、相互に信仰を有するものは、神に依頼するの必要がないと信じていた。相互が疑い合うときの苦しみを解脱するために、神は始めて存在の権利を有するものと解釈していた。だから、神のある国では、人が嘘を吐くものときめた。しかし今の日本は、神にも人にも信仰のない国柄であるということを発見した。そうして、彼はこれを一(いつ)に日本の経済事情に帰着せしめた。

現代日本文学館 5 夏目漱石 Ⅱ 「それから」 P.78)



 互いに「信仰」と呼べるほどの、疑念のない信頼が人と人の間にあるような社会であれば、そこに「神に対する信仰」はいらない……だが、そのような「信仰」を築くのに、一体どれほどの犠牲が必要だろうか?



 大昔の部族社会でならありえたかもしれない。部族社会が可能なのは、コミュニティが「互いに知った仲」で完結している場合に限るだろう。現代のように、見知らぬ他人が好むと好まざるとに関わらず身を寄せ合って生きている社会では不可能だ。



 人と人が「対話」をするには、何かを「媒介」しなければならない。その「媒介」を可能にするのは、「共通点」だろう。そしてそれぞれの共通点が可能にする「対話」の範囲は自ずとその「それぞれの共通点」の質に応ずる。「同じ人間である」というだけで可能な対話もある。「同じ言語を話す」となれば――つまり「言語」を介した「対話」だが――これはもう少し違った領域に踏み込むことを可能にするだろう(逆に同じ言語を話すがゆえに失うものもあるかもしれない)。



 どれだけの「前提」を共有しているか――ここに「対話」の限界と可能性がある。むろん「前提」を共有していればいるほど、良質な「対話」が可能になるというほど単純なものではなく、むしろその「前提」によりかかるがために、本質的な疑問を持てなくなることもあるだろう。



 誰かと「対話」を(しようと)したときに、私は一体何を「媒介」にそれを(しようと)したのか?何を「媒介」にそれをしてしまったのか?それによって何が可能になったのか?何が犠牲になったのか?






 何はともあれ、漱石の描く明治の世においても現代においても嘆きの内容は変わらない(だからといって双方の時代において嘆く者の見ているものが同じであるとは言えないだろうが)。

 分断され、生きるために汲々としなければならない者達の間に交わされる対話…。


 代助はすべての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じていた。始めから頭の中に硬直(こわば)った道徳を据え付けて、その道徳から逆に社会的事実を発展させようとするほど、本末を誤った話はないと信じていた。従って日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考えた。彼らは学校で昔し風の道徳を教授している。それでなければ一般欧州人に適切な道徳を呑み込ましている。この劇烈なる生活慾に襲われた不幸な国民から見れば、迂遠の空談に過ぎない。この迂遠な教育を受けたものは、他日社会を眼前に見る時、昔の講釈を思い出して笑ってしまう。でなければ馬鹿にされたような気がする。代助に至っては、学校のみならず、現に自分の父から、もっとも厳格で、もっとも通用しない徳義上の教育を受けた。それがため、一時非常な矛盾の苦痛を、頭の中に起こした。代助はそれを恨めしく思っているくらいであった。

(同 P.73)



 だが、このような精神論は現在でもなお振り回されている。「現代の社会が乱れているのは戦後の民主主義教育が悪かったのだ」という意見まで飛び出し、なおかつどさくさまぎれに愛国心教育を導入しようとする。

 だが、むしろ逆だろう。

 「民主主義教育」なるものは決して行なわれて来なかった。



 現代の社会がいかに民主主義の未発達な社会か、人権が無視されている社会か、マジョリティはいかにマイノリティの現実について知らないか、民主主義や人権を真にもたらすには、どのような社会(システム)を構築せねばならないか、そんな「現代の社会的事実」をまともに受け止めた本音の教育、受けた記憶がない。







バイト行かなきゃ…。