被害者の意固地さ

 ナディール・カーンの次の国王、ザヒール・シャーは西欧化をさらに押し進める政策を取る。
 しかし王室が改革を進めれば進めるほどイスラムの伝統を守ろうとする国民と王室との気持ちは離れていく。




 田中宇さんの本だけでは、近代化政策がどのように進められたのかはよく分からない。もしかしたら国王がちょっと強引なやり方をしたのかもしれないが、ふと思い出したのが「アラブが見た十字軍」の記述。


アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫)


著者のアミン・マアルーフは十字軍時代の二百年間(1096年〜1291年)を通じ、西洋は東洋から学んだけれども東洋は西洋から学ばなかったと言う。



 そして、たぶんこのことこそ、彼らが犠牲者となった侵略のもっとも不幸な結果なのだ。侵略者にとって、征服した民の言葉を学ぶのは器用にこなせる。一方、征服された民にとって征服者の言葉を学ぶのは妥協であり、さらには裏切りでさえある。実際、フランクの多くはアラビア語を学んだのであるが、これに対して現地の住民は、土着のキリスト教徒のいくつかの例外を除き、西洋人の言葉に無関心で通した。
 例はいくらでも挙げることができよう。フランクはどの分野でも、シリアやスペインおよびシチリアにあるアラブの学校で学んだからだ。そして学んだことは、彼らのその後の発展になくてはならぬものになる。ギリシア文明の遺産は翻訳者にして後継者であるアラブを介して初めて西ヨーロッパに伝わった。医学、天文学、化学、地理学、数学、建築などにおいて、フランクはアラビア語の著書から知識を汲み取り、それらを同化し、模倣し、そして追い越した。どれほど多くの単語がその証拠としていまなお使われていることであろう。
 産業の面においても、ヨーロッパ人は紙のつくりかた、皮のなめしかた、紡績、アルコールや砂糖の蒸留法などにつき、まずアラブが用いていた方法を取り入れ、それから改良して行った。ヨーロッパ農業もまた、中東との接触によって豊かになったことも忘れてはならない。アンズ、ナス、冬ネギ、オレンジ、スイカなどのヨーロッパ語はアラビア語源であり、まったく枚挙にいとまがないくらいである。

(P.451)





 「十字軍時代において、アラブ世界は〜〜知的および物質的に、この世で最も進んだ文明の担い手だった」(P.446)。しかし、アラブの都市同士は分裂し牽制しあっていて結束することが出来ず、結果として十字軍の侵略を可能にしてしまう。もともと進んだ文明の持ち主であったこと、十字軍の遠征以前から、すでに当時の文化水準に甘んじ過去の遺産にしがみつくだけで発展の気概を失っていたこと、それに加えて被害者としての心情から西洋に学ぶことができなかったことなどを、アミン・マアルーフはアラブがその後衰退していく原因としてあげている。



 20世紀のアフガニスタンの人々にもこの「被害者の意固地さ」が当てはまるのかどうかは分からないけど。