偽ドミトリー

ロシアとソ連邦 (講談社学術文庫)

 偽ドミトリーがツァーリになるときに協力したボヤール達は、ボリス=ゴドノフに反対するという点では一致していたが、その他の点ではさまざまな思惑を持っていて一致していなかった。彼らは自分たちの昔からの特権の復活を期待し、その限りで偽ドミトリーに協力したが、ひとたびボリス=ゴドノフが倒れたからには、いまや新しいツァーリが、自分たちの意のままになる操り人形であることを期待した。一方勤務貴族は、より多くの封地と高い官位を望むとともに、農民が領地から逃れることのできぬよう、確固たる手段をとることを要求した。さらにコサックをはじめとする農民大衆は、自分たちの支持したツァーリが、土地と自由を与えてくれることに望みをかけていた。教会は教会で、偽ドミトリーがイエズス会士やポーランド人の願いを入れて、カトリックと正教の合同をはかるのではないかと、疑いの目をもって見守っていた。
 ドミトリーが即位して一年にもならない一六〇六年の五月、シュイスキー公は仲間のゴリーツィン公らと語らって、兵を率いてモスクワに入った。最初彼らはツァーリポーランド人から守るのだと称していたが、すぐに偽のツァーリを廃するのだという目的をかかげた。偽ドミトリーは逃れようとしたが捕えられ、護衛の兵によって殺害された。彼らは皇子ドミトリーの母から、ツァーリは自分の息子ではないと告げられたからであった。このときの反乱で、バスマーノフをはじめ、二〇〇〇から三〇〇〇のロシア人とポーランド人が殺され、偽ドミトリーによって任ぜられた総主教も廃位された。
 偽ドミトリーの死骸は赤の広場にさらされたあと焼かれ、その灰は大砲につめられて、ポーランドの方向に向かってばら蒔かれた。
 モスクワの大衆の歓呼の中で、ヴァシーリー=シュイスキーがつぎのツァーリの位についた。

(外川継男「ロシアとソ連邦」より)






偽ドミトリーはポーランドの方向にばら蒔かれたんですか…。さいですか。