警備員のバイト

 座間市でやっていたコンビニの深夜バイトを五月半ばでやめ、引越しを六月末と定めたので、それまでの間短期でできる仕事として、警備員なんぞやってみようかと思った。


 私のようなフリーターは、大概、2、3ヶ月に一回求人雑誌をめくるもの……なのかどうかは知らないが、私にはそういう習慣があった。仕事を探すということと、日常が袋小路に陥ったように感じるときの気分転換を兼ねて。


 求人誌をめくっていると、警備員は日給9000円くらいで、時間給だけでみるなら結構割りのいい仕事だ。さらに警備員には法律で研修が定められていて、これがどんなものなのか興味があった。そこで五月半ばにテイケイ株式会社という警備会社の面接に行き、研修を受けることになった。


 研修は10日間に30時間分を受けなければいけないというもので、通常は4日に分割してこの法定時間をこなすことになる。建前上、4日間(30時間)のカリキュラムは、一日の各時間ごとに区切られ、この日の(A日、B日、C日、D日)この時間は(一時間目、二時間目、…)「訓練」を行うだとか、この時間は法律を勉強するだとか決まっているのだが、そんな建前を正直にこなすはずもなく、実際には研修一日目の人から四日目の人まで混在した形で行われる。「教官」がその日の研修メンバーを見て、授業内容を決めるのだ。


 初日に私がオフィスの奥の教室に入ると、研修三日目か四日目の研修生に制服の着方を教わった。その後で、その日の研修生代表(四日目の研修生が教官から拝命するらしい)に、号令に対する反応の仕方を教わる。その日の研修生は8名だった。


 研修開始時間になり教官が教室に入ってくると、研修生代表の「起立!教官に向かって…敬礼!」の号令に従って、「敬礼」をする(「直れ!」で直る)。とにかくいちいち軍隊式で休み時間に教室から出てトイレに行くときもオフィスワークをしている人たちに向かって大声でその旨宣言し、「行ってらっしゃ〜い」と許可を受けたうえでなければ行けない。


 教官がまた絵に描いたような「教官」で、おそらく二十代後半なのだが、すさまじい声量で号令をかける。訓練として「右向け右!」だの「回れ右!」だのを延々と繰り返させる。仕事のシステムを説明するのも大声。そしてこれが面白いのだが、説明の途中で研修生が眠くならないように、またおそらく自分に親しみを感じさせるために、ときおりトランプを取り出しては手品を披露したり、ギャグを飛ばしたりする。不機嫌な表情で怒声を飛ばすかと思えばくだけた態度で接してみたり、いかにも体育会系の「飴と鞭」的人心掌握術と言う感じでいやらしいのだが、その切り替えが徹底され、場面場面で見事にキャラを入れ替える。まあ、ここまで出来れば多分、教官としては優秀な部類に入るのだろう、と感じた(松浦亜弥木村拓哉のような業界人的プロフェッショナリズム=業界外の人には面白くもなんともない)。


 教室での説明、研修ビデオ鑑賞、基礎訓練以外に、オフィスの入っているビルの屋上での、交通誘導訓練というのがある。とりあえずお約束の「七階の屋上まで階段で移動」をした後、炎天下、笛と手信号を使った基本の動作を繰り返す。また現場での様々な状況を想定した訓練を行う。工事現場で車両誘導しているのに、誘導経路で作業員が立ち話に夢中になっていて、こちらの指示になかなか従ってくれない場合とか。その作業員役をまた教官が巧みに演じる。




 結局諸事情あって、この研修は一日でリタイアすることにしたのだが、こういう妙な世界を体験できたのはなかなか貴重だった。




 ちなみに警備員になるには身元証明というのが必要。過去五年間に働いていた職場の電話番号を聞かれ、当該期間本当にそこで働いていたかどうかを調べられる。調べられるのは「そこで働いていたか」だけで、「何も問題を起こしていないか」ではないのだそうだ。さらに親にも連絡を取られる(親がいない人は警備員になれないのか?)。実に不快だ。