朝青龍

朝青龍が病んでいるらしい。よく知らないが。
usauraraさんのところで読んだ。

http://d.hatena.ne.jp/usaurara/20070808


僕は相撲が好きで、なかでも朝青龍は一番好きな力士。
あの獣のような迫力はたまらない。

相撲協会という組織に関して言うと、それほどよく知っているわけではないのだが、あまり良い印象を持ったことがない。なんとなく慣例重視の(或いは、ことなかれ主義の)官僚的な組織だなあ、と感じることが多い。ま、これもあまりよく知らない者のいい加減な印象でしかないが。


横綱の重責」という言葉について言えば、そういうものもあるだろうとは思う。ただ、これは非常に便利な言葉でもある。結局、どこまでその言葉の威力に頼って物事を解決するかは(というか、それに頼ってしか物事を解決できないかは)、相撲協会知恵のあるなしにかかってもいる。



責任という言葉はなべてそうだろう。

そういう脅迫的な言葉を使ってしか物事を解決できないことを、恥ずべきこととみなすかどうかは、もちろん場合によりけりなのだが。(←これは、「脅迫的な言葉」になるべく頼らないことを理想にするにしても、場合によりけりだ、ということ。そういう理想を持たない人には、まったく関係がない話)



以下のことは、相撲が嫌いな人には関係がない話ではあるが、世の中には相撲が好きな人もいる。
で、そういう人達に相撲の魅力ってなんだと問うても一様な答えが返ってくるわけではないだろうが、個人的には、相撲が「伝統」と格闘していること(つまり「伝統」を部分的に破りながら、それに捕らわれて(それを守って)いること)が、魅力の維持に貢献していると思う。

私はスポーツにおける「伝統」の効用を(もちろん弊害もあるだろうが、ここでは置いておく)、スポーツにおけるルールの効用とあまり区別していない。



相撲はあくまで力士同士の「ルールある戦い」を見せるものだが、一般的に、「ルールの無い戦い」は戦争くらいなもので(戦争にも一応ルールがあることにはなっているが)、ルールが無い戦いは見世物にならない。これはルールの一つの効用だろう。

また、「ルール」の内容自体が、見世物としての面白さを左右することがある。
例えば、サッカーでは味方がバックパスしたボールをキーパーが直接手で取ることを禁じているが、これは観客を退屈させるあまりに露骨な時間稼ぎを規制するルールだ。

要するに、「醜い技術」を抑制し、「(見る側にも競技者にとっても)美しい技術」による競い合いを促すのが、ルールの効用だと言えるだろう。
(経済学的な発想では「闘争技術を抑制し、生産技術の発展をうながすのが法規制の効用」とか言うのだろう)



ここで「醜い」「美しい」というのは、完全にファンや競技者やその他関係者の主観だ。
サッカーにおける、所謂「時間稼ぎ」と言われる行為を「醜い」とか「退屈」とみなす感性は、どこからともなく生まれ、なぜか多くの人が共有しているものに過ぎない。

あらゆるスポーツはこのような「関係者(或いは、大衆)の勝手な期待」のうちに「見世物」として成功している。

横綱大関が、立ち合いに変化することに批判的な風潮があるのも、この一環としてだろう。
ただし、小兵力士が同じようにしても、さほど批判は起きない。
協会がどのように言うかはともかく、少なくともファンの側からは、さほど起きない。むしろ小兵力士が彼らならではの奇襲を仕掛けることを期待する風潮すらある。
小兵力士の奇襲を「許す」のは、それが公平性の原理に照らして納得のいく行為だからだろう。それを「喜ぶ」のは……なぜだろう…。うーーん…。単純に「あくどい」こともたまになされる分には面白いから、だろうか。或いは、小兵力士に関しては、通常の力士とは違う物語を観客が見ているからだろうか(小さいものが大きいものをうまく騙して勝つことの痛快、とか)。そういう意味じゃ、小兵力士はある意味、味噌っかすなんだろう(小兵力士自身の苦労とは関係なく)。



ともあれ、「正々堂々」という姿勢が基本的に尊ばれ、またそれが相撲の「面白さ」を(「美しい」技術による競い合いを)維持させているという部分は確かにあると個人的に思うのだが、どうだろう。




横綱の重責」みたいな言葉もそういう意味では使いようであって、うまく使えば(というより、機能すれば)、相撲を面白くできる。だが、「横綱の重責」という都合のいい言葉に頼って、精神的な疾患の可能性に対してまで、合理的で慎重な態度を取る努力を怠るというのは、どうか。精神的な疾患だから、(横綱朝青龍に)様々な行為が「許される」と言っているのではない。また、その診断自体を疑うなと言っているのでもない。しかし「汗かけば治る」なんて、いくらなんでも思考停止しすぎだろう。

横綱の重責」や「国技・相撲の大切さ」が人々の思考停止の言い訳に使われるとしたら、考えものだ。
いや、慎重な発言を怠ることの隠れ蓑として利用されるようなことはあって欲しくない、とか言った方がいいか。





いっそのこと朝青龍も相撲辞めちゃえばいいのに。本人はどう考えているんだろう。