谷川雁

このころ谷川は、ワーク・キャンプの学生たちにたちまじり、学生との会話を楽しみ、乞われるままに助言を与えていた。
学生たちは、奈良の大倭紫陽花村にハンセン病回復者の宿泊所をつくっていて、それを伝え聞いた近所の反対派に取り囲まれた。そのとき偶然に谷川雁が近くにきていて、助言を求められた。学生は、
「みなさんの同意を得ないうちは、ここに宿泊所をつくりません」
と言って、それまで積み重ねていたブロックを、取り囲む人びとの前で壊した。
それから夏ごとに、京大医学部教授西占貢の意見書をもって、男女二人組で、反対者の家を戸別訪問し、ハンセン病が今では新薬プロミンによって回復し、後遺症が残っているとはいえ、伝染しないことを伝えた。そういう説得の手ごたえをお互いで確かめた上で、一挙に宿泊施設をたてた。そのときには、前のように、取り囲む人びとはなかった。
一歩しりぞいて、しかしあきらめないという姿勢は、それまでの学生運動にはない。谷川の助言が、この道を切り開いた。

鶴見俊輔「回想の人びと」