クーリエから 奇抜な名前

クーリエの小ネタが面白い。
反米の旗手チャベスでおなじみのベネズエラでは「ツタンカーメンヒロシマヒトラーホーチミン、スーパーマンバットマンなど」の奇抜な名前を子供につけることを禁止し、新生児には政府の決めた100の名前のいずれかをつけなくてはいけない(ただし、外国人と少数民族は除く)という法律が出来たらしいが、その法律の良し悪しよりも「ヒロシマ」とか「スーパーマン」という人がすでにいるということに驚く。日本でも「悪魔ちゃん」騒動というものがあったが…。

ちなみに、同様の法律はあちこちにあるみたい。

名前が理由で市民権を得られない女性(スペイン)

ドイツマスコミスキャン〜「ジハードちゃん」とドイツ人の名前(上)
ドイツマスコミスキャン〜「ジハードちゃん」とドイツ人の名前(下)

↑こちらの記事によると、ドイツでは明らかに名前と分からない名前はつけてはいけないらしい。
フランス人のなまえ
↑フランスでは自由らしい。

しかし仮に「奇抜な名前」或いは「変わった名前」が問題になるとしたら、どういう理由が考えられるのだろうか。このページによると今回のベネズエラの場合「嘲笑の対象になったり、突飛だったり、公的言語(すなわちスペイン語)で発音しにくい」ことが理由らしい。「悪魔ちゃん」騒動のときは「子供がいじめられる(からそんな名前ダメよ)」というような意見が世間には多かったのではないかと思う。

とするとこれは単に「変わった名前」の問題ではなく、その中でも「嘲笑の対象になるような名前」の問題だと言える。これは僕の独断なのだけど、嘲笑する側からすれば相手に明確な嘲笑の理由がある方が嘲笑しやすいのではないかと思う。つまり、多数が少数を嘲笑する場合、その嘲笑する多数の間で嘲笑する理由が共有されていないと「すっきりと」嘲笑できない。逆に言えば、誰かを嘲笑したい(いじめたい)ときには、とにかく(なんでもいいから)嘲笑しうる理由を見つけて、他の人と共有すればよい。

だから本質的に嘲笑やいじめの対象になるためには、名前が変わっている必要は必ずしもなくて、名前が記号性を帯びる、しかも嘲笑の対象になりうるような記号性を帯びることの方が重要なのではなかろうか。例えばテレビで話題の幼児殺人犯と同一の苗字であるとか。

こちらのyahoo!知恵袋の回答には世界最長の人名が記されている。