医者と患者

もし医学が科学技術の一つであって、技術の成熟を待ってはじめて公衆に求められるものであれば、ことははるかに単純であろう。「この海峡に架橋する技術はまだない」と技術者はいいうる。しかし癌や分裂病を治療する技術がまだないから二〇〇年待つことを病者とその家族に要請することはできない。公衆のまなざしが医師と医学を要請した。医学はつねにとりあえずの技術であったが、公衆はそれに反した幻想を持たざるをえず、医師もまたその幻想に囚われた。医師に対する欲求不満はつねに存在したのであって、われわれはヒポクラテース全集とともに六巻のギリシア詞華集中に多数の医師を嘲罵する詩を発見する。ハンムラビ法典以来、法はつねに建前としては医師にきびしく、しかし医師が社会体制の一翼を担うかぎりにおいて寛容であった。ハンムラビ法典は「眼には眼を」の法を医師に課したが、実際は金員をもっての支払いで決済されたらしい。しかし、医師が自らを公衆から守り自らを神秘化する必要はつねに存在したのであって、往古のシャーマン文化以来(それがギリシア医学、特に精神医療に濃い影を投げかけていることはすでに述べたが)医師がギルドをつくる傾向はつねに存在した。

中井久夫「西欧精神医学背景史」P.92)