図書館とホームレス  当初の論点から脱線気味に

論点が錯綜していて、少し整理しないと私自身混乱してしまう。



そこで少し論点を箇条書きにしてみる。

  • ホームレス問題への対策として、図書館が女性専用席を設けることの是非
  • 「迷惑利用者(≠ホームレス)」対策として、図書館が女性専用席を設けることの是非
  • ホームレス対策として、図書館が、排除とまでは言えない、なんらかの方策を取ることの是非
  • 「迷惑利用者」対策として、図書館が、排除とまでは言えない、なんらかの方策を取ることの是非
  • ホームレスを図書館から、なんらかの形で排除することの是非
  • 「迷惑利用者」を図書館から、なんらかの形で排除することの是非
  • ホームレスをなんらかの形で、公共のスペースから、排除することの是非
  • 「迷惑利用者」をなんらかの形で、公共のスペースから、排除することの是非
  • ホームレスに人権はあるか
  • 「迷惑な人物」に人権はあるか
  • ホームレスに対してなんらかの「支援」をすることの財政的な問題

ところで、「仮に『ホームレス』を排除することは不可でも、『迷惑利用者』を排除することは可」というもっともらしい結論の問題点は、二つある。

一つは、「迷惑」をどこで線引きするかの問題。
もう一つは、「迷惑利用者の排除」という建前のもとに、「ホームレスの排除」が進む可能性があるという問題。






ところで・・・



私は、これらの問題に対して、さほど明確な意見は持っていない。というか、持てないでいる。正直、分からない。



ホームレスなのか「迷惑利用者」なのかはともかく、他人を怖れる心理は私自身にもあるし、「それはあなたの差別意識が生み出したもの」なんて言われても、違和感が残る(まったく的外れとも思わないけど)。何かあってからでは遅い、というのは、まったくの真実だ。しかし、だからといってセキュリティをどこまでも徹底する(なんらかの排除をともなう形で)ことに正当性があるとも思わない。



ホームレス、或いは、「迷惑利用者」を排除すべきという結論を正当化する論理は、様々に組み立てられるだろう。しかし、同様にホームレス、或いは、「迷惑利用者」を排除すべきでないという結論を正当化する論理も、様々に組み立てられる。両方組み立てられるということは、両方ともに絶対的な正当性はもちえないということだ。



そういう意味では、これは論理的には解決不可能な問題だと私は思っている。だから最終的には、現実的な感覚から言ってこれこれこういう方法が妥当だろう、という結論にいたらざるをえない。



こう書くと、要するに「他人に対してどのように接するべきか」(なんて問題を思いっきり抽象化しちゃったけど)については、個人個人がそれぞれ自分の「現実的な感覚」で、好き勝手に判断すればいい、行政的判断も結局は、そういう個人個人の感覚の集積なのだから、同じようにすればいい、と言っているように見えるかもしれないけど、もちろんそうではない。



最終的には、感覚的に妥当なところを見出すしかないのだけど、肝心なのは、それ以前に、「論理的には、どのような立場も正当化しえない」ということを意識することではないだろうか。だから排除するにしろ、排除することを拒絶するにしろ、すっきりしない。



で、論理ってのは、ときに、すっきりしたいがために組み立てられているように私には思える。でも、こういう公共の問題に関して、安易にすっきりしてもらいたくない、というのが私の思うところ。というか、この問題については今のところ、それくらいしか明確な意見は持ち得ないので、結局私の意見は「安易な正当化」に対する単なる論理的な反論に終始するのだろう。で、こういうスタンスを取ることは(そこにとどまることは)少なくとも今のところは、妥当だと思っている。



ところで「仮に『ホームレス』を排除することは不可でも、『迷惑利用者』を排除することは可」という論理の問題点はすでに書いたが、この論理ってものすごくすっきりしているなあ、というのが私の印象。これに寄りかかって、ある種の「排除」の正当性を自信を持って主張している意見は、危ない。






図書館とホームレス問題の先行事例についてで、いろいろ紹介されていた。読んでみたい。