「ホームレス」問題について。

  • 「ホームレス体験」という語りの型について(主に、「体験」とは何か、「解釈」とは何か、について)
  • 「救う」ということについて。

ホームレスについて、さまざまな人が、自身の体験を語っている。
これはその一例。
「ホームレス支援」という差別
この記事を書いたid:noiehoieさんは、自身もホームレスだったことがあるらしい。

僕なりにこの記事の内容を要約する。


ホームレスとハウスレスがある。ハウスレスは年収が年収六百万以上あったりして、これは単に家に住んでないだけでホームレスじゃない。本当のホームレスは、なんにもない。働く気力もないし、ただ浮遊し、息をするのも面倒くさい。こういう精神状態は、通常の人には理解できないだろうが、羞恥心の敷居を下げたらこんな楽な生き方はなく、一度やったらやめられない。そのような状態にいたるには3パターンある。一つは、知的障害があるなどして生活が破綻してホームレスになるというもの。二つ目は、「ホームレス」という職業に就職/転職したパターン。会社の窓からホームレスみてたら、『あ、あれでもOKじゃん』って思っちゃった、というホームレスの話を聞いた。三つ目は、経済的理由でホームレスになるというもの。でも、こういう人は少ない。というのも、(経済的理由だと自己申告していても)大概ウソだから。話を聞いていくと、「ホームレスも選択肢の一つ」って局面を迎えたときに、ホームレスになるという選択肢を拒まなかった人なのだということがわかる。みんな最後は「いろいろしんどくなっちゃってさぁ」って言う。これって、広い意味で「ホームレスに就職したパターン」だとおもう。要するに、ホームレス救済なんて無理。「知的障害パターン」は、悲惨かもしれないが、本人にすれば、施設でお仕着せの生活する方がよほど悲惨。「ホームレス就職パターン」はライフスタイルだから救う必要はもともとない。「経済的理由パターン」にしても「いろいろしんどくなった」から現状にいたっているのであって、むしろもとの苦しい生活に戻してほしくない。



 この手の「体験談」は、結構ある(支援する側の体験談も含め)。つまりホームレスの怠惰、無気力さを強調するもの。ゆえに支援の必要性に疑問が生じるし、自己責任という発想に説得力が生まれる。ただし、当たり前のことだが「体験談」には限界がある。そういう当たり前の視点で記事を書いている人もいる。

たぶん、みんな知ってると思うけど、ホームレス問題を考えるときの前提を、ちょっとメモする。

この記事では、まずホームレスは地方では生きていきにくいと述べられ、ついで大阪、名古屋、東京などの都市のホームレスにどのような違いが見られるかに触れられる。以下は、記事の最後の方からの引用。

何が言いたいかというと、「自分が接触したホームレスはこういう人だった」とか「自分がホームレスをやっていた時に出会った人たちはこうだった」とかの言説は、ホームレス全体から見てごく一部でしかない、ということと同時に、地域差というものを(僕も含めて)見落としている可能性があるよ、ということ。自分のごく狭い範囲の視野に映ったものを過信している恐れがある、ということ。

だから、「ホームレス対策」ひとつ取っても、その地域ごとに取り組み方は大きく違ってくるはずだ。



もうちょっとだけ言うと、ホームレスの人の中には、事実として、日雇い仕事でかなり収入がある人も居るとは思う。しかし、仕事にありつけなくて、缶拾いやコンビニの期限切れ弁当を貰って、なんとか生活している人も多い。開き直って、ボランティア・支援団体の行う炊き出しだけで「生きている」人も居る。それらの実態は、一人の人間が見聞きするだけでは、たぶん掴み切れない。

「体験談」は説得力を持つ。

とはいえもちろん体験とはどこまで言っても「私」の体験であって、それは「ホームレス体験」とはなりえない。つまり、日本中の(東京中の、世界中の)ホームレスと交流を持つことは不可能、という意味で。こんな風に言うのは厳密すぎるかもしれない。でも、こういう基本は基本として意識すべきだと思う(安易な断言への拒絶を期待して)。


すべてのホームレスと交流を持つことができないという以外に、「体験」を疑う正当な理由がある。それは「体験」と「解釈」の間に線が引けないということだ。例えばid:noiehoieさんの記事を見てみると、「いろいろしんどくなっちゃってさぁ」というのは、「ホームレスに就職したパターン」だと解釈されている。が、そもそもなぜ彼らが「いろいろしんどく」なってしまったのかということをid:noiehoieさんはどれだけ正確に理解できるのだろう。「いろいろしんどく感じる人/感じない人」という区分がありうるなら、「人をいろいろしんどくさせる環境/させない環境」という区分だってありうるだろう。もちろん一人一人がどういう環境におかれているか、ということは、なかなか容易に把握はできない。しかし「いろいろしんどく」なった人を「(自発的な選択として)ホームレスに就職したパターン」とみなすためには、「私もあなたも他のどんな人もおかれている環境はたいして変わらない」という前提が必要になるはずだ。こんな前提に、どれほどの妥当性があるのだろうか。


それから、僕なりの人間観を述べると、人には現在の自分を肯定するために気持ちの持ち方をほとんど無意識的にコントロールする傾向がある(ただし、こういう傾向があるということは、他の傾向――例えば、これと真逆の傾向――がないということを意味しないし、コントロールするということは完全にコントロールできるということではない。自分を肯定する価値観、否定する価値観、世の中で力を持っている価値観、論理的な正当性を否定できない価値観などがせめぎあうように自己の中に存在しているのだろう)。例えば、仕事人間は仕事をすることを尊いことと考える傾向を持つだろうし、ホームレスは、ホームレスな状態で(が)いいんだ、と考える傾向を持つ。そのどちらの考えにも、それなりにもっともらしい理由がつけられる(理由は、それとは気づかれずに、あとから調達される)。自分の現状を否定するような価値観を持ちながら生きていくのは、精神的に無理がある。ゆえに世界観や価値観を臨機応変に変化させることで、健康を保とうとする。


そういう観点からすれば、「ホームレスの無気力さ」や「現状肯定」は、現状への精神的な対応の結果と見ることができる。であれば、現状(ホームレスを取り巻く環境)が変わることによって、ホームレスの心境にも変化が生まれておかしくない、ということになる。




余談だけれども、なぜこの問題に「リアリスト」的立場(「理想/夢想やイデオロギーにとらわれた人」なるものに対置させる立場)で発言する人の語彙には、「インテンシブ」とか「フリーライダー」という、「経済問題」用語が多いのだろう(そういう用語で語るということと、「経済」の発想で語るということは違うと僕は思う。つまり、「リアリスト」ってどこまで「リアル」に考えているの?ってところが疑問。偽悪に走ることで、リアルだと思い込んでいるということはないだろうか)。










ところで、上で引用したid:nijuusannmiriさんの別の記事から、引用して僕自身の思うところを少し。

実感として、ホームレスの人たちはいろいろで、その中には本当に深刻に救いを必要としている人も居るし、箸にも棒にもかからないどうしようもない人も居る。だったら、救える人からどんどん救っていけばいい。

よく、行政のホームレス対策に対して批判的な意見で、「それではホームレス問題の根本的な解決にならない」とか、「全てのホームレスを救えない」というのがある。僕はそれに対して、「バカ言ってんじゃねーよ、対症療法なんだから解決できるわけないだろ。それより、救われる人がゼロだった状態からわずかでも増えたんだから、そのことを評価しろよ」と思う。


救える人から救っていけばいい、というのに同意見です。id:nijuusannmiriさんが議論(対話?)していたid:kajuntkさんが「リソースが有限だ」ということを述べていたのですが、ここで問題なのは「リソースが有限」かどうかではなく、「ホームレスを切り捨てることが必要なほどリソースが有限」かどうか、でしょう。一般的に「リソースが有限」というのは、あまりに自明なことで誰でも同意できます。つまり説得力がある。しかし「ホームレスを切り捨てることが必要なほどリソースが有限」かどうかという問題になると、にわかにあやしくなってきます。一般的に言うと、こういう論理的にはつながっていない命題が、さもつながっているかのごとく提出されて、なんとなく説得力を持ってしまうということはよくあることだと思います。


以前、「ホームレスになっても救済されるなら、フリーライダーが増える」ということを言う人がいましたが、これもちょっと極端な意見であるように思います。というのも、ホームレスが救済されると言ったところで、なにも豪華な生活が保障されるわけでもないでしょう。最低限度の環境が保障されるとして、そういう最低限度でもよいと考える人がどれだけいるのでしょうか。


ただ政治や行政を評価するというのは、結構難しいものだったりします。「その分だけでも評価しろ」といっても、問題は行政がポーズとしておざなりな「救済策」を示すことで、幕引きを図ろうとしていないとはなかなか判断できないということです。政治や行政が普段から、まっとうな対応をとっていて信用があるならともかく、そうでないなら、「その程度のことで幕引きにしようとするなよ」的な意見は、当然必要だと思います。



それから、「弱者を食い物にして、利益を貪る連中が許せない」というようなこと(と僕が受け取ったこと)も、kajuntk氏はおっしゃっていたが、それは全くその通りだろう。

僕も、ホームレスを食い物にして利益を貪る自称左翼系の支援団体やNPOは好きではないし、ホームレスに住居らしきものを与えて生活保護を受給させ、家賃や食費や光熱水費などの名目でその生活保護費のほとんどを巻き上げるようなヤクザや右翼のフロント団体みたいなNPOも嫌いだ。

でも、そういう連中と現実に共謀しているホームレスも中には居るかもしれないが、そうでなければ、そういう連中とホームレスそのものを同一視することはない。また、そういう連中に比べれば、ホームレスがボーダーの人から搾取する利権なんて可愛いもんだと思うが、どうだろう。間違ってるなら、誰でもいいので、具体的に指摘してほしい。


ここにも同意できます。フリーライダー警戒論についても言えるのですが、必要なのはフリーライダーや利権を貪る連中を「排除する」ことではなく、そういう連中を「必要な程度に排除する」ことなのでしょう。僕の印象の限りで言うと、どうもフリーライダーとか利権という言葉のドギツサが、「程度問題」というまっとうな論理を抜け落ちさせる原因になっている気がします。そもそもフリーライダーや利権などといったら、これはあらゆるシステムに存在するはずです。でも、ある程度のものは、必要悪として看過される。だとしたら、ある場合にだけ、潔癖にそれらを排除しようとするというのは変です。












それからこちらは、図書館問題に立ち返った記事。

本が好きだから思うこと

大阪府の図書館に行ったご自身の体験が紹介されたあと、以下のように「今回一連の議論をみたあとの現在の感想」が述べられます。

・現場が困っているのは主に「匂い」である。(怖い、見苦しいではない)

・それは決して目障りな利用者を排除したいがための口実ではない。(臭くて居られないは大げさではない)

・図書閲覧の権利は納税の有無に関わらず全ての人にあり、その円滑な運用が滞る事態があって現場だけでは解決が困難なのなら、もっと上のレベルで早急の解決策が必要という現状の認知を多くの人にしてもらうことが大事だ。


さらにid:usauraraさんは別の記事で、以下のように書かれています。

本が好きだから思うこと 2    〜「怖い」ってなんだろ

「ホームレスが怖い」という気持ちが私にも全く無いわけではない。
が、上で述べているように自分の家族がそういう状況に転落するやもしれぬ危機感を
現実に抱くようになってからは、ずっとそれが和らいだと思う。
何故かというと、関心を持ち始めて何かと情報を得てみると世間で言われるホームレス像が
100パーセント実態を映していないと思うようになったからだ。
「怖い」は「知る」ことで少しだけマシになる。「怖い」と言う人にまず、一番勧めたいことだ。



とはいっても完全に払拭は無理だろう。どうすべきか。




私はそれは我慢すべきであると思う。

「匂い」については対処すべき(対処≠排除)とし、「怖い」については我慢すべきという。この区別こそが重要だと思う。「ホームレスだから排除/救済」というのでなく。