正しく論破することと、理解を得ようとすること。

論破すること自体には何の意味もない
 
きちんと論破したら納得する奴なんて、はてなでは見たことねーよ・・・
 
 
「論破するだけでなく納得させるべき」という主張には、それなりの正しさがあります。ただし、「納得させる」という相手次第であることができなければ「意味がない」とまでは言えないでしょう。
 
政治家が取るべき態度には、二つあって、大まかに言えばそれは「正しい認識に基づいて議論すること」と「美しい態度をとること(或いは、醜い態度をとらないこと)」とに分かれると思います。
 
この場合の「正しい認識に基づいて議論すること」とは、「議論の相手が持ち出した帰無仮説を棄却することで浮かび上がってくる対立仮説の正当性を」論証すること(相手に分かってもらうこと、ではなく)であり、「美しい態度をとること」とは、相手に分かってもらおうとする(分かってもらうこと、ではなく)ことです。
 
そうい観点から言えば、橋本知事が今回「相手にわかってもらおう」としなかったとは必ずしも言えないと思いますが、ただし「正しい認識に基づいた議論」をしなかったのは確かだと思います。「議論の相手が持ち出した帰無仮説を棄却することで浮かび上がってくる対立仮説の正当性を」論証するという手続きを踏まない場面もありましたし、あるいは、高校生の議論の未熟さにつけこみそれを屁理屈でかわすだけで本質的な議論をしないという場面もありました。その上で自分の信念だけを語るという、説教くさい上に頭の悪い上司みたいなことをしていた。
 
マスコミが取り上げたのは、単に知事と高校生のガチンコという構図が面白かっただけじゃないでしょうか。むしろ今回の件は今後「高校生にも本気で相手するというのは立派だ」という評価をされるような気がします。この手の安っぽい「お話」ってマスコミでよく見かけるもの。